どうしたものだか僕は鉛筆を買って、家に帰って絵を描いていた。家を描きたいなあと思った途端、突然サーシャおばさんが僕を呼んだ。僕は鉛筆を置いて、サーシャおばさんのところへ行く。
「呼んだ?」おばさんに聞いた。
「うん」とおばさんはいった。「あそこをみてよ、壁のところ。あれ、ゴキブリかねえ、蜘蛛かねえ?」
「ゴキブリだと思う」そう言って、行こうとすると、
「ちょっと、なによ!」サーシャおばさんは叫んだ。「やっつけてよ!」
「わかったよ」と、僕は椅子の上にのぼった。
「ほら、古新聞を持って。新聞でつかまえたら、お風呂場の蛇口の下にね」おばさんは言った。
新聞を受け取ると、僕はゴキブリの方へ手を伸ばした。しかし、ゴキブリは突然ガサッと音をたてて天井の方へ跳んだのである。
「イーイーイーイーイーイィ!」サーシャおばさんは金切り声をあげて、部屋から逃げ出した。
僕自身もおびえていた。椅子の上に立って、天井の黒い点をながめる。黒い点はゆっくりと窓のほうへ這ってゆく。
「ボーリャ、あんた、つかまえた?なんなの、それ?」おばさんはドアの陰から、興奮した声で尋ねた。
その時何故だか僕はくるりと頭をめぐらしたのだが、その瞬間に椅子から飛び降り、部屋の真ん中まで逃げ出した。すぐさきほどまで立っていた場所の、すぐ近くの壁に、正体不明の同じ虫がもう一匹いた。ただ、もっと大きいサイズで、マッチの半分くらいの長さがある奴である。やつは二つの黒い目で僕を見つめ、花に似た小さな口をモグモグさせた。
「ボーリャ、どうしたのよ!?」廊下からおばさんがわめいた。
「もう一匹いるんだ!」僕は叫んだ。
昆虫は僕を見て、すずめのように呼吸している。
「おええ、なんて気持ちの悪いやつらだ」僕は思っていた。顔全体が歪むほどに。
もし毒を持ってたら、どうしよう?僕は耐えられなくなり、悲鳴を上げてドアの方へ突進した。
ドアを自分の後ろでバタンと閉めた直後に、内側から何かが激しくドアにぶつかった。
「やつだ」と、深く息を吸い込んで僕は言った。おばさんはすでに廊下から逃げ出していた。
わたしゃ、もう二度と自分の部屋には入りませんからね!はいらないわよ!勝手にさせておけばいいんだ、私は部屋には入りませんからね!」
おばさんは、階段のところに集まってきていた、我が家の住人たちにむかってわめいた。
「教えてくださいよ、アレクサンドラ・ミハイロヴナ、一体なんだったんです?」
53号室のセルゲイ・イワーノヴィッチ氏が尋ねた。
「知らない、知らない、知らない!」おばさんは叫んだ。その瞬間、床と天井が震えるほどに、ドアが叩かれた。
「サソリですよ。私たちのところじゃ、南の方にはよくいますがね」二階から弁護士の奥さんが言った。
「そうでしょうとも、でも、部屋には入りませんからね!」サーシャおばさんは繰り返す。
「奥さん!」上のバルコニーから身をのりだして、すみれ色のズボンをはいた男が声をかけた。「私どもには他人の部屋のサソリを捕まえる義務なんかありませんからね。管理人のところに行きなさいよ」
「そうよ、管理人よ!」弁護士の奥さんは喜んだ。
それでサーシャおばさんは管理人のところへ向かった。
53号室のセルゲイ・イワーノヴィッチ氏は、自分の部屋に帰りながら言っていた。
「しかしながら、あれはサソリじゃありませんな。まず第一に、どこからサソリがここに来るもんだか、第二に、サソリは跳びませんからなあ。」